サンティアゴ・デ・クーバに深夜に到着し困った話
カマグウェイを20:15に出発したビアスールのバス。
掲示されていた時刻表によると、目的地はサンティアゴ・デ・クーバで、終点到着は6:40着とあったんだけど・・・
なんと夜中の1時ちょっと前にサンティアゴ・デ・クーバに着き、降ろされてしまった。
窓の外に、ガイドブックでも見覚えのある革命広場の大きな像が見えた時の衝撃ったら・・・。
確かにバス車体にも「HAB.EXP.BCOA」とある。ハバナからバラコアへの急行便だったのだ。6:40はバラコア到着時間だった。
さあ困った。
ターミナル外に出ると、自転車タクシーの客引きはいれど、こんな夜中にカーサ・パルティクラルの客引きはいない。自転車タクシーもわずかで何やら強引で怖くて乗りにくい。さあ、どうする?
とりあえず、市街地まで歩けない距離ではないはずなので道を確認し歩き出した。
キオスク的な店が一軒だけ営業していたので、そこでミネラルウォーターを購入し道を確認する。するとひとりの黒人男性が声をかけてきた。どうも飲んだ帰りらしく「うちのカーサ・パルティクラルが空いている」と。
夜中こんな人気がないところでは簡単に信じられない。
「それリーガルなものなの?」
「もちろんだ。イリーガルじゃない」
そういって、カーサ・パルティクラルのカードと本人の身分証明書を出してきた。
ちょっとほろ酔いだけど、悪い人ではなさそうな。
「このカーサはあなたの?それとも友達の?」
「僕の母親の家だ。セスペデス広場のすぐ近くだ」
ふむふむ。
遠いからタクシーに乗っていこうという。その運賃もだせと。
どちらにしても市街地にはいかないと何も始まらないし、ひとりでタクシーに乗るよりは地元の人がつかまえたほうが安全だろうということで、承諾した。
実際にはタクシーは全然走っておらず、通る車片っ端から声をかけてのヒッチハイク。
キューバでは結構ヒッチハイクで移動している人を見かけるが、自分が乗るのは初めてだった。
タクシー利用と同じだろう3CUCを払って降りた。
確かに場所はセスペデス広場のすぐ近く、なかなかいい立地。そして建物の前には公認カーサ・パルティクラルの標識があった。
ピンポン鳴らし続けると、寝間着というかドシミーズ姿の年配女性がでてきた。ちょっとほろ酔い気味な息子は自慢気に「客を連れてきたよ!」と言うのだが、母親は「部屋はないよ。さっきひとり入ったから」と。がーん!
「でもよかったらうちの部屋に泊まりなさい」
「遅くてもう探せないから」
そう言って通してくれたのが母親と娘さん&小学生のお孫さん三人の寝室。
小さなベッドがそのお母様のベッドで、大きなベッドが娘さんとお孫さん用だったみたいだが、小さなベッドを開けてくれた。三人は大きなベッドに川の字寝で。
いきなり知らない人のベッドで寝るのもどうかと思うが、深夜1時過ぎに知らない街中を彷徨うのは危なすぎるので、そこで寝ることに。翌日の夜にカーサ・パルティクラルに泊まるならこの一晩は無料にしてくれるっぽかったが、翌日は移動する可能性もあったので、宿泊料一泊分支払った。
翌朝、寝ぼけ眼でなかなか起きない男の子に、靴下を履かせ靴を履かせ、そしてズボンやシャツを着させて青いスカーフを縛る娘さん。そっか土足暮らしの生活だと、先に靴下と靴を履いちゃったりもするんだなと今更ながらの発見。
男の子はこの後、ママが部屋をでた瞬間ふたたびベッドに倒れこんで寝てしまったんだけど。
私を連れてきてくれた男性以外は女性だらけの家。
通りに面したこの部屋は、裁縫とネイルの部屋になっていた。
外国人旅行者用のカーサ・パルティクラルは二階の部屋。
そっちにはしっかりエアコンもつけ、バスルームではお湯も出るだろうが、オーナーさんの住まいのほうは扇風機でシャワーも水だけだった。当たり前だけど、カーサ・パルティクラルはかなり豪華な作りになっているんだなあと改めて。
最後にもう一つ。
翌日夜、同じ時間のバスに乗ってバラコアに向かおうとした時、サンティアゴ・デ・クーバで降りた人達の中にひとり日本人がいて、出発間際にまた乗り込んできた。どうも前夜の私と同じ状況だったようだ。
「こんな時間に着いてもどうしようもないので、行く予定はなかったけど終点のバラコアまで行くことに」
と、その人。
翌日は一緒に国立公園ツアーにも参加させてもらい、その人は一泊して翌朝8時のバスでサンティアゴ・デ・クーバに向かった。
それ見て思った。
彼の行動が正解。なんとか泊まる場所も見つかったからいいようなもののそれは結果論。
「やばいこんな時間に着いちゃったよ、どうしよう」で無理して宿探しなどするのではなく、車掌さんやバスターミナルスタッフに相談してもう一度バスに乗り込む。短時間ですぐ一番安全な方法を見つけ行動に移す判断力と決断力が自分には欠けていた。反省だ。