往復1時間半ほどで「聖なる丘」ハイキングから戻ってきた後、そのまま徒歩で街の中心にある「ミクロフ歴史広場」へ。奥にそびえたつのがミクロフ城ですが、その前にもうひとつ手前の観光名所に。
荘厳な建物は、ディートリヒシュテイン家埋葬所。
もともとは聖アンナ教会という教会だったそうですが火災で焼け、今はチャペルを併設したディートリヒシュテイン家の墓所となっています。
さっそく中へ。
大きな鍵の束をもった女性がここを管理しており、案内もしてくれました。
それにしてもこの鍵、簡単に複製できてしまいそう・・・
チャペルから棺の安置所へ。
このような墓所を見るのは初めてで少々どぎまぎしてしまいましたが、立派な装飾の棺がずらり並べられています。
ここには、17世紀から19世紀の間に亡くなった一族45人が埋葬されています。埋葬所といえども、この場所からは、暗澹とした印象を受けません。観光シーズン中(4~10月)はここで、この場所およびミクロフの町の歴史に関する常設展示を見学することができます。ここでは、この場で発見され、修復されたローブもみられますが、これは18世紀にカロリーナ・マクスミリアーナ・ディートリヒシュテインがまとっていたものです。
写真では重ねて置かれているように見えるかもしれませんが、下は台座です。
棺ひとつずつにプレートが設置され、中で眠っている人の名前や生存期間などが記されています。
台座にも同様に名前と生存期間が刻まれています。
ひとつだけ、台座もない質素な棺がありました。
一体何があったのでしょう。
修復の記録も。
そこから町の中心の広場「ミクロフ歴史の広場」を横切って、やや高台にあるミクロフ城へ。
ミクロフがある南モラヴィアは、ワイン産地として有名なところ。
聖なる丘から見下ろした時にも、街の周囲は広大なブドウ畑に囲まれていました。
歴史あるミクロフのワイン造りは、このミクロフ城でも行われていました。巨大な木を組み合わせて作ったこの装置は、ぶどうを搾るためのもの。丸く溝がほられ、絞った果汁がでてくる穴も開いています。
地下に降りてゆくと・・・
そこはアーチ形の天井をもつワインセラー。
電気がなかった時代は、ランタンなどを持ってここに入ってきたのでしょうか。
ここの奥に鎮座するのが、巨大なワイン樽。昔は実際に使用されていたというから驚きです。
そして今度はまた別の道から街中に降りてゆきます。よく見ると屋根瓦はいろいろな形のものがあるようです。
第二次世界大戦にいたる短い期間で消失してしまいましたが、ここにも大きなユダヤ人コミュニティがあったそうです。郊外には墓地もあります。
ランチは、壁一面をツタで覆われたこのお洒落なレストランで。