昔住んでいたアパートの大家さんの息子一家を訪ねる

写真自分がエジプトに住んでいたのは1991年。17年前だ。大家さんが息子のために同じ建物内に購入していたフラットが空いていて、そこを借りていた。

年取った夫婦と二男の三人暮らしで、大家さん夫婦のムッシュー・サーデクとマダム・サミーラは「一番下の娘」と呼んですごくかわいがってくれた。

前回2001年に来た時には、数年前に二人とも亡くなったことを知り、大泣きしてしまった。
二男のアハマドは、「ママは『アティコどうしているかしら』って、ずっと言っていたんだよ」と。

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場所は、カイロ西岸のギザで、スーダン通りに面したところ。
マディーナット・タラバという広場のちょっと手前にあるフラットだ。

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建物の反対側の並びの風景が大きく変わっていて、
最初の夜にはじめて訪れた時は、どうしてもフラットの場所が分からず、歩きまわってしまった。
(結局、近所の人に教えてもらって無事辿りつきました)

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住んでいたところは、昔とまったく変わっていない。

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「そうそうここだよ!」

21歳の、本当に暑かった夏の記憶が次々よみがえってくる瞬間。

扉を開けると、そこには満顔の笑みのアハマドがいた。
突然の訪問にもかかわらず、あたたかく迎えてくれた。

当時20代後半のさわやかな青年だった彼は、少し髪に白いものも混じった、貫禄ある父親になっていて、横顔はムッシュー・サーデクにとてもよく似てきた。

その頃、本当にきれいで物腰も柔らかかった婚約者は、エジプト女性らしい恰幅いいおばさんになっていた。
やはり生え際には白いものも混じっていて年を感じる。
彼女はおそらく自分とあまり年齢違わなかったと思うので、日本人より年をとるのが早いのかもしれない。

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そして子供たち!
前回2001年に来た時は、2歳と8歳で、パパとママの陰に少し恥ずかしげに隠れながら挨拶してくれていた子供達は、話好きで、人懐っこい、きれいな女の子になっていた。

上の子はヤスミーン、15歳。
英語とフランス語を勉強中ということで、アラビア語がもうほとんど離せなくなっている自分の通訳もしてくれた。

下の子はマルワ。
明るくて好奇心いっぱいで、自分が何かしていると、すぐ横に座って「何してるの」と聞いてくる。

ふたりとも本当にキュートだ。

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さらに4歳の男の子、ヌールが新しく加わっていた。

一番下のせいか、たったひとりの男の子のせいか、両親が割と年齢とってからの子供のためか、かなりやんちゃで、お姉ちゃん2人の手を焼かせていたが、この子も本当にかわいかった。

ずっと連絡をとっていなかった上に電話番号をなくしてしまい、いきなりラマダーン中に訪問していいものかどうか悩んでいたのだが、やっぱり来てよかったなあと。

結局、突然夜訪れた次の日から2日間滞在し、イフタール(夕食/ラマダーン中は特に重要)をご一緒させてもらった。